Hello the Masking Face 店主敬白&番頭日記

釣具を扱うビンテージタックルウェアハウス「Hello the Masking Face」の主と番頭が綴る日記です。

店主敬白20140314 少年釣具酔夢譚 その四

少年釣具酔夢譚 その四

私が六年生になった1980年、シマノに水を空けられたダイワはいよいよ反撃に出ます。言うまでもなくファントムシリーズの展開です。ベイトキャスティングのリールとロッドは勿論のこと、スピニングリール及びロッド、更にはフライリール及びロッドと、舶来フィッシングブームの匂いを嗅ぎ取ったダイワの、大胆なファントムブランドを打ち出したハイエンド戦略でした。

正確に言えばその前年にアメリカのバスプロのビルダンスを開発アドバイザーに迎えて最初のファントムSM-2というベイトキャスティングリールが発売されましたがこれはアメリカダイワで開発された(と当時聞きました)せいか釣具店で売られていたのを見たことがなく、翌1980年にその後継機種のSM-20がリリースされた際のカタログの宣伝文句で初めてSM-2の文字を見たのみでした。
(ここでファントムSM-20画像検索どうぞ)

形としてはやはりシマノバンタムに思い切り影響を受けたロープロファイル形状に重さはこの形になっても300gくらいあって随分重いなあと思ったものでした。また、同じブランドの名前が冠されたロッドが実にかっこ悪かったのです。色は茶色。リールはバネ式の押さえで固定するワンタッチ式で便利ではありましたが、とにかく硬いロッドで閉口しました。まあダイワに限らず当時の国産のルアーロッドは軒並みガチゴチに硬いものばかりで、現在のようにトップウォーターロッドはスローテーパーでなどという考え方は誰も知らなくて、このファントムは勿論、ダイコーのスピードスティック、ウエダスーパーパルサーと、皆どれも硬いロッドばかりだった記憶があります。当時へドンの輸入元をやっておきながらルアータックルをあまり積極的に開発していなかったオリムピックにはあまりデザインのよくないグラスロッドが作られており、私のそのミディアムライトの6ftは地味ながら良いロッドでした。

ファントムシリーズはバンタムに勝てたかというと、私たちの周りではファントムを買った人は誰もいなかったのでシマノの圧勝という印象がありました。形はバンタムの方が未来っぽいし、軽いし、値段も安く、わざわざファントムを買う理由はどこにもありませんでした。(そういいながらも私はファントムSM-2, SM-20, SM-15、更にフライリールまで持ってるんですけどね)

因みにリョービもキャスプロシリーズでやはりロープロファイルベイトリールをリリースし、世界の新しいトレンドを日本のメーカーが一気に牽引していく時代になり、BB/BMから始まったパーミングカップはABUも4600CBで真似する程主流になりました。因みに4600CBは定価41000円でバンタムの三倍以上の値段でしたね。

そして中学になった1981年。いよいよあの本が発売されます。

つづく



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